「痛みを伴う場所」から「安心で安全な場所」へ
その人の印象は「純粋」。
かもしだす全てが「きれい」。
それは、来歴の美しさなのだろう。
私はずっと、その人をそんな風に思っていました。
ところが、その人は「子供っぽい」といわれるといいます。
男性からも女性のお友達からも。
その人は、子どもっぽさを反省して、大人っぽくするべきなのでしょうか。
私は自分の人生を振り返り、「わがまま」といわれ続けたことを思い出しました。
家でも、学校でも、小、中、高ずっと、大学時代は一番責められましたね。
どこへ行っても「わがまま」なのです。
それを直そうとしたら、生きづらくなって、日本人の中にいられなくなってしまいました。
日本にいても外国人ばかりに囲まれる職場を選び、とうとう外国で暮らすことに。
そうしたら、海外では私を「わがまま」という人は誰もいないのです。
異文化と接したことは、本当に人生の救いになりました。
その人の生きた歴史や文化で、ものの見方は全然違う。
Aさんにとっては悪いことでも、Bさんにとってはいいことかもしれない。
そんな当たり前のことに気づくことができたのです。
実際に私は、彼女が「子供っぽい」といわれると聞いて少し驚きました。
正直にいいますと「子供っぽい」なんてかけらも思ったことがありません。
むしろ、私が昔着こんでいた「重いヨロイ」を感じたので、もうそんなの脱いで、自分の中の「子ども」を出しちゃえば面白くなるのになーなんて、勝手に想像してました^^
自分が「わがまま」といわれて痛みを感じていた時代、反省するところがあるとすれば、「減点」してくる人間関係ばかりだったということころです。
日本人がというより、「わがまま」と減点してくる人たちばかりが周りにいたのです。
その理由は、ちょっぴり心が痛むけど、「私が人を減点する人間だったから」です。
「この人のここがイヤ、あの人のここがイヤ。減点!減点!減点!」
だから、私を減点する人間関係ばかりになっていたのですよね。
子どもの頃から親に減点されると、反発して親を減点するようになって、ひいては周りの人を減点するようになって、結果、減点する人の輪に入ってしまう。
でも、その仕組みに気づいたから、私はそこから脱することができました!
親の名誉のために付け加えると、子どもを減点する親は、その親に減点され、夢を奪われています。親がすでに犠牲者である場合がほとんど。
そして、その「減点」思考が家系を貫く精神のバトンになって子や孫の世代にリレーされていく。
親個人が悪なのではなく、連鎖なのです。
自分も「減点」しがちだなと思う人に楽しいワークがあります♬
今日1日は、何があっても減点しない!
それができたら、2日間、3日間、1週間とやってみる。
私たちはこの世に生まれている未熟な魂だから完璧は無理ですよ(笑)
そして、減点しないで過ごせる時間が長くなったら、「畏敬」のワークもやってみましょう!
畏敬のワークとは、「対象を賛美し畏敬の念をもつワーク」です♬
むりやり賛美しなくていいですよ^^
自然に賛美できるものを賛美すれば大丈夫。
そうすると賛美できる対象が広がっていきます。
賛美する人に居心地の悪さを感じる「減点さん」たちは、自然に遠ざかってくれるでしょう。
減点から賛美へ。
賛美してはじめて、その対象の本質が開示されます。
その本質を見る心の目が育ったとき、あなたの周囲は、あなたを賛美する人だけになるでしょう。
そこは、あなたがそのままで生きられる「安心で安全な世界」です。
R.シュタイナーは、『賛美・敬意・尊敬を心に満たした瞬間に、自身の中で微睡み続けてきた諸力が目覚てくる』といっています。
私もそれを実感しています☆
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