自ら学ぼうとしているものを受け入れる
長い長い夏休みが終わろうとしています。
親にとってはほっと一息ですが、小学三年生の息子は「このままずーっと夏休みだったらいいのになー」と祈りに似た言葉をつぶやいています。
お友達に会えるからいいじゃないのと返答しても「やだよ。学校なんていきたくない」
その言葉にそーだよね・・・といいながら子どもの頃の自分を思い出していました。
私も学校が苦手でしたから。
今でも疑問なのですが、なんで週に5回も学校へ行かなくてはいけないのだろうと思います。会社もしかり。
週4回ぐらいでいいんじゃないかなあと考えてしまうんですよね。
それは私が自宅好きだからかもしれませんが。
自分が学校には全くなじめなかったので、日本でも海外のように自宅学習が選択できればいいのになーと思います。
自宅学習向きの資質をもつ子どもたちって一定数いると思うんですよ。
生命科学者の中村桂子さんによれば「生き物は学ぶことが大好き」なのだとか。
例えば、ライオンは狩りの仕方など生きるための術を子どもに教えるといいますが、教えるというよりは「子どもが自ら学ぼうとしている」のだそうです。
その子にとって本当に必要な学びはその子が本能でわかっていると思います。
だから、子どもが自発的に学びたいことを学べるのは喜びのはず。
学ぶことは本来、生きる喜びです。
ある日、「今日学校で先生がやりなさいといったことをAちゃんだけやらなくて、ものすごく怒られてた。でもAちゃんは絶対にやらなかったんだ」という話を息子から聞きました。
Aちゃんはまだ幼くて自分が先生に「何を」訴えたかわかっていないかもしれないけど、きっとこんな感じではないかなと思う。
・なぜ私がそれをやらなければいけないの?
・それは私の資質や存在理由に関わることなの?
・それは私という人間が自然に育とうとしているのを助けるものなの?
一人一人のかけがえのない「固有の資質」と「標準化の教育」との齟齬が、Aちゃんみたいな子どもを媒介として表面化してしまう。
こんな子は面倒な子、素直じゃない子、いわゆる悪い子になってしまうけれど、ほんの幼い子供でも「なぜ?」と問い続ける子は一定数存在します。
それを理解して助ける人が一人でいいからそばにいてほしい。
そう祈るような気持ちです。
学ぶことは生きる喜び。
これは大人になった私たちも同じこと。
幸いにも私たちは大人であり自由があります。
世間の「標準化」に従うだけでなく「自発的に成長」していく力もある。
あなたが学びたがっていることはあなた自身の存在理由に直結しています。
今の仕事に関係あるかないかで対象を絞らずに、自由に広く受け入れていけるといいですね^^
あなたが「自ら学びたがっているもの」を受け入れられますように。
あの野生の、ライオンの子どもたちのように☆
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