自分の意図ではない意図

数秘術の仕事をはじめて12年が経ちました。この事実にまずびっくりです。活動的な時期も、それほど動かない時期も、ずっと様々な形で仕事を続けられているという事実の重さ。「仕事は呼ばれる」といいますが、本当にその通りで、自分の意図ではない意図の存在をひしひしと感じています。実際、勤めに出ていた頃は1~2年しか仕事が続きませんでした。少なくとも、お勤めに向いてるか自営に向いてるか、外に出るか自宅にいるか、ここだけでも自分にとって自然な方を選べていたら日々の充実度は違ったと思っています。


なので、数秘術家としての12年、しかもこの間、とぎれることなく仕事ができていていることには感謝しかありません。しかも、私は昨年秋に自律神経を病んでブログも途切れ途切れになったけど、数秘のお仕事は継続して行うことができました。それは私にとって不思議な事実で、仕事になっていることはそれだけで神秘的な巡り合わせなんだなと思えます。

数秘術家は成り行きで自然になってしまった自分の意図ではない意図ということもあって、実はこれまでに何回か、本気で数秘術家をやめようと思ったときがありました。別になろうと思ってなったわけじゃないし、それよりもっと他の自分がやってみたいことをやってみよう!みたいなノリで。ところがやめようとすると大きな仕事が入ったり思いがけないチャンスがやってきたりで、ぐいと首を捕まれたように数秘術の仕事に戻されてしまうんです。それに他のやりたいことは趣味でできても仕事にまで持っていくのが不可能に近いほど大変。この経験から思うのは、この自分の意図ではない意図でやってしまっている、というのが実はとても大事なんじゃないかということです。


昨年の病気は、今だからわかるのですが、左脳に偏った生き方のバランスを取らされたのだと思います。この時に、むりやり右脳(イメージ・全体)で生きることに導かれました。一時的にですが、文字を読んだり書いたりできなくなったので、曼荼羅描いたり、絵の教室に行ったりしました。今まで好んで読んできた自己啓発本等のノンフィクションは読むと気持ちが悪くなるようになりました。不思議なことに今まで読めなかった小説がすいすい入ってくるようになりました。その他にも、今までは事実に基づいたエッセイ的なものしか書けなかったのに物語をふいに書くようになりました(まあ、これは私のお遊びですが)。この無理矢理の左脳系→右脳系も、自分の意図ではない意図が働いているので流れとしては今後大事なものになるんじゃないかと思っています。最近はもう、自分の意図は自然の意図を邪魔するので気づいても見ないようにそっと避けて通るようにしています。無意識の奥から出てくる自然の意図の方が、森羅万象とひと続きになれるような安心感があり、そちらこそ本当の自分じゃないかと思えてきます。

🌜本と数秘のある暮らし✨

本と数秘のある暮らしをすると自然に<自分の物語>が生まれてきます♪ ☆.:*:★Always say "YES" to my life★.:*:☆ 数秘術家 悠城レニ(Yuuki Leni)