「珍しき事」と「オリジナル」について
レニ先生の『珍しき事』を成せたのは
やはり、時間、経験の重みを経てきた成果だと思いました。
『珍しき事』は、ルーキーがやっても、評価はオーソドックスなものかもしれません。
真似をして、きわめて、オリジナリティを見つけて、際立たせる、『守』『破』『離』の過程があって、初めて、成せるのだと思います。-講座受講生-
「はじめる力」について書いたメルマガにご感想をいただきました。
心が動く部分がありましたのでシェアさせてもらいますね。
Tさん、ありがとう♡
何かをはじめるときに「珍しき事」を「熟させる」というお話でした。
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Tさんのご感想には、守破離のプロセス抜きに「珍しき事」をすることの危うさが書かれています。
「真似をして、きわめて」
この守破離の「守」が本当に大事なんですね。
★守★「型」を守る=対象の価値の本質をつかむ
★破★「型」を破る=対象から離れ自分の価値の本質をつかむ
★離★「真実の自分」スタイルの確立
例えばこんなことがありました。
デパ地下で日本茶を買おうとしていたのです。
すると試飲の小さな紙コップを用意した店員さんが、どうぞとトレイを差し出しました。
ここまでは全然珍しくないですよね。
でもね、紙コップを手に取って口に運んだその瞬間に、さっと羊かんを差し出したのです。
羊かん!!
もう、私は感動で打ち震えてしまいました。
だって、羊かんを食べて日本茶を飲んだら、どんなお茶だっておいしくなっちゃう(笑)
これが珍しき事の成功例だなあと思うんです。
もし、お茶売り場の経験のない私が突然店員さんになって、「珍しき事」をしようと思ったらこんなことをしてしまうかも。
・日本茶だと珍しくないからオレンジ風味にしよう。
・紙コップで出すのは珍しくないからワイングラスで出そう。
守破離のプロセスの守を経験しないと、その対象への「畏敬の念」が芽生えず、「謙虚さ」を失ってしまうのかもしれない。
オリジナルを出そうとして失敗するのは、この辺りが原因なのかなと思います。
「珍しき事」は己の我を生かすためではなく、畏敬の対象を生かすため。
自分なんてどうでもいい!
その対象を極限まで生かすんだ!
そんな敬虔な祈りがあってはじめてできるのだと思います。
自分は死んで、対象を生かす。
対象が生きて、自分も生き返る。
自分を捨てられるような畏敬の対象にこそ、オリジナルは生まれるのかもしれません。
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