|b読書会|モモ④第3部13~16章
ブログ読書会の第4回目はモモ第3部13~16章です。
|ひとりひとりの時間の花|
\\⭐// P.224「いく千もの<時間の花>のすがたが浮かびあがってきます」
つきることのない魔法の泉のように、そこにはいく千もの<時間の花>のすがたが浮かび上がってきます。そしてその花のひとつひとつが、あたらしいことばとなってなりひびくのです。
第3部には、「時間の花」という美しいタイトルがつけられています。
泉から現れては花を咲かせ、散っていく時間の花。
その花は咲くたびに唯一無二の美しさをモモに感じさせます。
死と再生の絵画的な描写が心に響きます♡
生死はもちろん、心の生死である「人生の転機」の様子とも重なります。
新しくうかびあがった花は、「あたらしいことば」で鳴り響く。
咲いては散る。それは私たちの自然のサイクルなんですね。
新しい何かの到来を受け入れ、大事にしてきた何かを見送る。
そんな命の在り方をリアルに感じることができました。
|生きた時間=遊びの時間|
\\⭐//P.247「こうして子どもたちは、ほかの「あること」を忘れてゆきました」
みんなはそれぞれの住む地区にしたがってべつべつに<子どもの家>にほうりこまれました。こういうところでなにかじぶんで遊びを工夫することなど、もちろん許されるはずもありません。遊びをきめるのは監督のおとなで、しかもその遊びときたら、何かをおぼえさせるためのものばかりです。こうして子どもたちは、ほかの「あること」を忘れてゆきました。ほかの「あること」、つまりそれは、たのしいと思うこと、むちゅうになること、夢見ることです。
役立ちそうなものばかり選び続けていると、毎日がホントつまらなくなります。
結局、あまり役立たないし(笑)
その理由をエンデは明快に教えてくれています。
・たのしいと思うこと
・夢中になること
・夢見ること
これを忘れちゃうからなんですね^^
エンデは「遊び」を人間の力を引き出すものと考えていました。
逆境から救ってくれるのも「遊び」です。
遊んでいるときほど自分自身になれるときはないですものね!
人生が停滞中なら、いっそ遊んでみる♬
遊びから新しい生き方の方向性が見えてくると思います。
|失敗の神秘|
\\⭐//P.288
あたしもいっしょにつれてってくれない?いまじゃいつも、ひとりぼっちだもの
モモは、「楽しいこと、夢中になること、夢見ること」を忘れさせた<子どもの家>に自分も連れて行ってほしいと子どもたちにお願いします。
そこがモモにとって良くない場所だと感じていたのに。
ひとりぼっちという不安が間違った選択をさせてしまうのです。
エンデは主人公に「間違った選択」をよくさせます。
人生にまっすぐな道はないと考えているようです。
失敗して失敗して失敗して、失敗がある飽和地点に達したときに転回が起こる。
そして、正しい道がみつかる。
だから、失敗も正しい道への必要なプロセスで、誤ったわけではない。
失敗のプロセスも正しいと語っています。
(エンデはこのプロセスを「失敗の神秘」と呼んでいます)
私もこれは同感で、失敗を重ねたある日、転回が起こるんですよ。
まるで、その失敗が神様への捧げものみたいに。
これだけ捧げたから正しい道を教えて!という感じかな(笑)
だから、うまくいかないことを怖れないでほしいですね。
失敗は夢への貯金。
「失敗の神秘」は機が熟せばやってきます。
モモのように、熟すまで待てる人になりたいですね♡
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