|b読書会|モモ③第2部10~12章
モモは灰色の男たちに追われながらも、カメのカシオペイアという「助ける存在」の手を借りて、生きたまま時空の境界を越え、「時間の国」にたどり着きます。
そこには時間を統べるマイスター・ホラがいて、モモに時間の花が繰り返し咲いては散る様子を見せてくれます。
そしてモモは、圧倒されるような「大きな時間」が自分に授けられていることを知るのです。
20年ほど前ですが、高田馬場に日本シュタイナーハウスがあって、何度かそこでシュタイナーやエンデについて学んだことがあります。
そこにはエンデ本人も来たことがあり、そのときに、このマイスター・ホラの場面は最初にできあがっていたものの一つであったことを打ち明けたそうです。
そのくらい大事な場面なのですね。
人間について、いのちについて、これほど的確に、しかも美しく描写した場面は他に出会ったことがありません♡
私たちがどれほどの大きな時間を、神秘的な作用によってもたらされているか、それを改めて感じるとともに、私たちにとっての「生きた時間」とは何か、それを探求する時間をもつことができました。
停滞してる時間って、「死んでる時間」なんですね。
私も堂々巡りをしている時間があって、ああ、この死んでる時間に落ち込んでいたんだなとはっきりと自覚することができました。
それでは、第2部10~12章の📕2.お宝文章&📕3.感じたことを書いていきます☆
|生きた時間と死んだ時間|
\\⭐// P.201「時間は持ち主から切り離されると死んでしまう」
時間は、ほんとうの持ち主から切りはなされると、文字どおり死んでしまうのだ。人間というものは、それぞれがじぶんの時間を持っている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。
時間が止まったように人生が停滞することがあります。
何をしても虚しくなったり、やることがあるのにダラダラと関係ないことをしたり。
そんなときは、「時間」と「じぶん」が切り離された状態なんですね。
時間がほんとうにじぶんのものになっていないのです。
私は数秘術講座を開きたいと思ってから実行までに一年の時間がかかりました。
心はやりたいといっているのに、自信がもてず怖かったのです。
それで、完璧なテキストを作ってからとか、もっと勉強してからとか、自分をごまかしているうちに停滞という死んだ時間を生きるようになってしまいました。
「時間」と「じぶん」がずれてることにも気づかずに(笑)。
このときは、「50万円の講座にいったけど、テキストなんてなかったよ」という知人の一言で一気に境界を越えて、死んだ時間を脱することができました(笑)
その知人は私にとってカシオペイアですね^^
「時間」と「じぶん」が一致しない死んだ時間は本当に辛いもの。
今、停滞している人は、無視している心の声(じぶん)をもう一度よく聞いてくださいね。
・それをしないのは、怖がっているからだよ。
・でも怖いのは当然だよ。怖くていいんだよ。
・怖いままやってみよう。きっと大丈夫。なんとかなる。
そうやって励まし、「時間」と「じぶん」を一致させてあげること。
それが生きた時間を取り戻す唯一の方法だと思います。
他にも、
P.211「人間には時間を感じとるために心がある」
P.220「ほんとうにそうしたいなら、待つこともできなくてはいけないね」
などが心に残りました。
少し長くなりましたので、この2つに関しては、また別の機会に!
|次回は第3部13~16章 30日(水)に記事をアップ予定|
時間の花の章です^^
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