好奇心は「次」への羅針盤
※前回の続きから
自分に憑いた憎しみをどうにかしたい。
そう考えていた私は、
「中将姫は誰も憎まなかった」という事実に"好奇心"をもちました。
・誰も憎まないというのは本当?
・本当なら何かやり方があるのでは?
そう思ったからです。
とにかく人を憎むのは辛いので、そこから救われたいと思いました。
中将姫をご存じない方のために簡単に説明すると、彼女は実母を5歳で失い継母から執拗な虐待を受けて育ちます。
それは命を狙われるほど過酷なもの。
なのに父親もあてにならない。
こんな状況で「誰も憎まない」のです。
今までは大好きな物語というだけで読み飛ばしていたのに、読み飛ばせない。
なぜ憎まないのだろう?
強い疑問と、そこには何か秘密があるはずだと好奇心でいっぱいになりました。
⭐好奇心こそ、自分を「次」に連れて行ってくれます。
次の自分をつくる重要な要素の存在へ、羅針盤をカチッと合わせてくれます。
物語を丹念に読み込むと、中将姫は、悲しい、苦しい、憎いなど、揺れ動く心のある世界から自分を切り離すことに専念していることがわかります。
読経や写経などで一心に観音様へ帰依し、心が無になるよう努めているのです。
⭐「無心」になること。
夢中になる、没頭する、ゾーンに入るなど、様々な表現がありますが、二元世界(個人と他者)に生きながら、一元世界(ひと続きの命)を同時に生きている状態を目指しているんですね。
なぜならそこは、揺れ動く心の入り込む余地のない世界だから。
※一元の世界と二元の世界についてはこちらへ
実際に中将姫は、揺れ動く心に翻弄されずに写経1000巻を達成します。
写経という時間が、一元世界とつながるプロセスであり、心からの解放の時間だったのだと思います。
その後、何らかの霊的作用が働いたのでしょう。
中将姫の目の前に極楽浄土が忽然と現れます。
そして、目にした極楽浄土の様子を当麻曼荼羅として織り上げます。
※当麻曼荼羅(当麻寺HPより)↓
この曼荼羅を見たときに思いました。
憎しみになるところだったエネルギーが、こんな至高の作品に昇華した。
こんなやり方があるんだと。
あの曼荼羅の奥にどれほどの悲しみ・苦しみが織り込まれたことか。
だからこそ、人々の心を打つのだと思いました。
一元の世界
・そこは「つながろう」とする世界
二元の世界
・そこは「離れよう」とする世界
憎んで遠ざけるのは二元のままでいるということ。
中将姫は一元を体現しようとした。
それによって自分を救済しようとした。
そう思うと、私の中の負の感情がすーっと消えてくれました。
自分の救済は一元の考え方では他者の救済そのものです。
(自分=他者)
自分を救済しようとした中将姫に私は救われることになりましたが、彼女もまさか1200年後の人間を救済しようとは夢にも思わなかったことでしょう(笑)。
でも、一元の世界は全て永遠の命ですから、つながってもまったく不思議ではありません。
この出来事を夫に打ち明けたところ、即座に「呼ばれているからすぐに行った方がいい」と説得されました。
そして、中将姫に会うために奈良へ行くことに。
出発当日の朝、私は一冊の本をかばんに入れました。
これは私の習慣で、出かけるときには必ず一冊の本を選んでもっていきます。
一冊だけ、というのがポイント。
指先の”好奇心”にすべてをゆだね、指先が選んだものを持っていきます。
頭がなるべく働かないように、すっと指が選んだ本。
指先は長年本棚の隅に眠るように置かれていた本を選びました。
それは般若心経を科学的に現代語訳した本。
奈良で般若心経なら相性がいいかも・・・程度でもっていきましたが、この本で一元と二元の世界を「科学的に」学ぶことになります。
次回は科学的な一元世界について、この本で学んだことを書いてみたいと思います。
”好奇心”のある方はぜひ読んでくださいね♡
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